東京に生きることが「不安である」と感じ、表現することは、
今なお、福島原発周辺で被曝しつづけている土地、そしてそこに生きるすべて人びと、「いのち」に対する、どのような態度を示しているといえるだろうか。
テレビで会見する政府や安全保安委、専門家が「人体に影響ない」と繰り返すほどに高まる、放射性物質による大気や水、食物の汚染への不安。
「彼らの言っていることは、果たして本当だろうか。」
次から次へと問題が生じる原発事故への対応。
自らの公式発言をたびたび覆す政府。
人びとは政府の情報への信頼をもはや失い、代わりに信頼できそうな情報をインターネットで必死に得ようとする。増幅した不安、錯綜する情報のなかで、福島から避難してきた人びとに対する「差別」がすでに始まっていることは、人前では不安を表現しない人びとが、実は放射性物質による汚染を恐れていることを示しているといえるのではないか。
私たちが経験した、別の「災害」について考えてみたい。
2001年の「9.11」後、米軍基地を抱える沖縄では観光客が激減した。それをくいとめ、観光業を復興させるため、政府や沖縄県、観光業などの経済界は「だいじょうぶさぁ~沖縄」キャンペーンをはじめた。・・・米軍基地はテロ攻撃の対象となる可能性から、最高度の警戒態勢「コンディション・デルタ」を発令していたというのに。
「だいじょうぶさぁ~沖縄」キャンペーンが、観光業の復興にどれほど効果があったかは、分からない。だが3.11という震災を経験した今思うのは、「だいじょうぶさぁ~沖縄」キャンペーンは、むしろ人びとの不安を増幅させたのではないか。さらにそれが、「完全に安全な場所」に身を置くという欲求を人びとのうちに募らせ、危険な米軍基地を東京から離れた沖縄に押しとどめてきたことの問題から目をそらさせ、米軍基地痛み思いをはせる契機を奪ってしまったのではないか。「低線量被曝地帯」という言葉で表現されているように、
東京は「完全に安全な場所」ではもうない。
強がることなく、あえて「不安」を表現し、「痛み」を感じてもいいのではないか。
放射能濃度が通常より高く、北風も吹いている東京で、なぜ「不安」や「痛み」を表現できないのか。まるでみんなが風邪をひいたかのように、被曝するなかで生きる互いを思いやりながら生活することはできないだろうか。
東京で痛みを感じなければ、今なお福島第一原発の周辺で被曝しつづけている土地やいのちの痛みに思いをはせることもできないんじゃないか。
「安全か/安全じゃないか」という議論で終わることなく、もはや「安全じゃない」と認識することから、議論をはじめることはできないだろうか。
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